自分の生きづらさと親の生きづらさの原因は共通している
死んでも親みたいにはなりたくないと言うのが自分の一番の支えだった
母親を見る度に、社会性がなく、世間のつまはじきである姿が映り、この人が自分の母親であるというだけで嫌悪感が湧きました
母親のようになると、社会から疎外されて、軽蔑されて、社会のゴミになる
だからこそ、母親のようになりたくないという恐怖心に煽られます
最近、母親をよく観察するようになってから、あまりにも自分と共通点が多すぎて、母親と自分は実はそっくりなのではないかというのが、疑問ではなく、確信に変わってきたため、ショックで絶望感に苛まれたことがありました
母親が常に世間体ばかり気にして、世間と同じようになることに重きを置きすぎている考えをひどく嫌っていましたが、結局自分も母親と同じような目線で世界をみているのではと気づきました。
社会に受け入れられることがそんなに大事なのか
なぜ母親はそのままではダメなのか
なぜ死んでも母親のようにはなりたくないとまで考えるのか
それは、単に母親への恨みだけでなく、恐怖から来るものもあると思います
だから常に、このままの自分ではダメだから、何か行動を起こさないと、何かをしないとと焦っています
そこに自分がやりたいからとか、興味があるからという動機がないというか、あるのかないのかも分からない
焦りから何かを始めて、結局本当にそれがやりたかったのかどうかも分からない
だからしんどい
何をするにしても、自信が持てないし、形式でしかない
私は、それを今までも今もずっと繰り返しているような気がします
こないだのカウンセリングでは、
「まずそこに気づけただけでも第一歩ですよ
自分がしんどいことに気づけない人もいますから」
その言葉を言われた時に、真っ先に母親が浮かびました
なぜ母親がこんなにも常にイライラして、他人に厳しいのか
母親自身が自分を認められないから、特に自分の子供である私にここまで厳しすぎるのか
自分自身が持つ恐怖に自分の生きづらさが隠れている
最近読んだ心理学の本に書かれていた事です
母親も私も苦しめているのは、そこなんじゃないかと
全ては社会から受け入れられるため
全ては人から受け入れられるため
人間の三大欲求に、集団欲が入っているとする人がいるそうです
周りと同じでないと不安、恐怖が押し寄せてくる
私の場合、周りと少しでも違うとそれだけで生きにくくなる日本社会を恨む一方で、周りと違うことを異常に恐れている自分もいて、この感情が常に戦っているからしんどいのかと思います
社会の矛盾を恨みつつも、恐怖から、自分もその矛盾に従おうとしている矛盾
絶望感しかない中で、ほんの少しの光が見えた気がする考え方のシフト
「 社会に受け入れられたいとか、世間的にちゃんとした人になりたいと思うことも健康的な感情であるし、逆にそこに逆らう感情があるのも健康的だと
そのどっちかの感情でなくてはならないと思う必要はなくて、そういう感情が両方自分の中にあっていいんですよ」
心理士の先生にそのようなことを言われた時に、心のどこかで少し落ち着けた感じがしました
まだ、絶望感がほとんどで、ほぼ焦りでしかないですが、自分のことを理解していく第一歩だと考えたいです